大和の自然 春日山のモリアオガエル 外部資料 カエルの類は繁殖期になると池の中に入る。そして水中で交尾し、水中で産卵するものである。その時分に雄の雌を呼ぶ声なやまかしさが、カエルの合唱というのはそのときのことである。ところが珍しいことにモリアオガエルは交尾期に水中に入らない。かえって池辺の幹を上がっ... 続きをみる
ムラゴンブログの人気記事
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「春日の森の昔ばなし」から 「耳が遠いので損をした神さま」昨日の続き 「地下三尺」 タケミカズチの神さまは御蓋山の西麓、春日野に広大な神地を構えようと、その土地の地主であるエノモトの神さまに「この土地を地下三尺(約1メートル)だけ譲ってもらえないか」と頼みました。このエノモトは耳が遠くて、「地下」と... 続きをみる
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「春日の森の昔ばなし」から 「藤原氏の氏神が四柱という謎」 この祭の広場に、南向きに四棟の立派な神殿が建てられたのは、奈良朝の中ばを過ぎた神護慶景雲二年、今から千二百年余り前のことです。 四棟に祭ってある四柱ー神さまは一人二人と数えるのでなく、一柱、二柱と申します。-の神さまというのは、向かって右か... 続きをみる
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錐(キリ) 眼や耳の病気で悩んでいる人は 心からご本尊にお祈りをして そこに供えられている錐を一本頂いて 「オンコロコロセンダリマトオギソワカ」 と真言を唱え その患部を錐で押さえる格好をすると その病が治ると言われています。そして錐を12本名前を書いて納める習慣があります。 万葉集にも出てくる川で... 続きをみる
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側新薬師寺の梵鐘の話 昔元興寺にの釣鐘に毎夜 鬼が出ると言われてました。また元興寺には 力持ちの堂童子がいました。 ある夜その鬼を退治しようと童子が釣鐘に隠れていました。そしたら鬼がやって来て 童子と大乱闘になりました。互いに力強いので鬼は釣鐘の回りを逃げ回りました。この童子には勝てそうもないと思い... 続きをみる
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新薬師寺の六不思議 紙粘地蔵 地蔵堂に安置されているお地蔵様には 紙が張られていることがよく見受けます。その紙を 身体の患部に貼り付け それをお地蔵様に貼ることで病が治ると言われているからです。 境内にあるお地蔵様
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薬師寺と言えば 奈良西ノ京にある「薬師寺」はよく知られています。この薬師寺は平城京遷都に伴って 今の橿原市から 西ノ京に移りました。天武天皇の病が治るのと祈って皇后 後の持統天皇が建てられました。橿原の薬師寺は 元薬師寺 と言われてます。 新薬師寺は聖武天皇の病気回復を祈って光明皇后によって天平19... 続きをみる
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muragonへ初投稿^^
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aupayがQRコード読み込めなくてやむなくpaypayで支払い
先日、某雑貨屋さんで買い物をしてaupayで支払おうとしたんですが このお店は、店員さんがこちらのコードをピッとするのではなく、 机に貼ってあるコードをこちらが読み込むというタイプでした。 コード読み取り画面をだして読もうとするのですが、 できない。 読み込まないんです。 店員さんが、QRコードのシ... 続きをみる
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日曜日。 久しぶりに、知り合いと麻雀。 終了後、食事に。 野菜食べたいなーって事で、「ステーキガスト」のサラダバーを目指して。 メインは、ハンバーグ(どうでもいい)、サラダとカレー、スープを。 メインはどうでもいいって言ってたら、 メインの写真を忘れてました。 サラダとデザートで腹一杯に。 メイン?... 続きをみる
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先日実家の庭の手入れをしてきたと ブログにも書きましたが あの日から義姉からラインが来ません😨 いつもならその日のうちに 綺麗にしてくれてありがとう♡ ってメッセージがきてたのに。。。 もしかしてもしかしたら 私は芝桜を雑草と思い込み 全部抜いてしまっていたのかも😱😱😱 ネットより 抜いた右... 続きをみる
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4月20日最終日です。 青森駅近くのホテルに泊まっています。 朝、例によって散歩に出かけます。 このあたりは前日と違って桜を見るような場所はないみたい。 取りあえず出発。 すぐ前が海ですよと言われていたので、駅を横にして海方向に進みます。 ホントにすぐ海。立派な橋! 林檎のモニュメント、、なんだかよ... 続きをみる
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嫌なニュースばかり 25年後日本中のあちこちの自治体が消滅する 若い人が居なくなり当然子供いない💦 偽広告による投資詐欺💦 戦争💦 殺人💦 地震💦 温暖化💦 どうなってしまうんだろう😭 地震対策する気もおきない 大きな地震は来るらしいがその時はその時よと思いながら物音に敏感になっている... 続きをみる
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朝鮮半島の平和統一を祈ります!「2024年全米青年学生ピースロード統一キャンペーン」
朝鮮半島の平和統一を祈ります!「2024年全米青年学生ピースロード統一キャンペーン」 「2024年米国青年学生平和の道統一キャンペーン」が23日、ソウル龍山区の朝鮮戦争記念館で開催され、500人以上の米国青年大学生が参加しました。 この日、デミアン・ダンクレー2024ピースロード米国共同委員長は「南... 続きをみる
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老後が穏やかに暮らせるか、お金で困窮するか、 運命の分かれ道は50代だと思う私。 まだ老後準備は早いと言う人もいますけど、 おひとりさまの老後、不安が多いです。 考えれば考えるほど、やはり「今だ」と 思えてきます。 いや、実はもっと早くだったろうけれど、 今からでもまだ間に合う⁉︎ せめて駆け込みセ... 続きをみる
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とても強いと言われているサクラローレルちゃんですが、育成難易度は激高です。 今回はそんなローレルちゃんの解説記事となります。 ◆性能について マイルも走れますが、基本中長距離での運用となります。 脚質は先行と追込がBですが覚醒スキルがどちらも差し指定なので、差し以外の脚質を使う事はありません。 覚醒... 続きをみる
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「子供のための大和の伝説」から 「古女郎大明神(こじょろうだいみょうじん) 現在は国道24号線となっていますが、JR奈良駅から南へ約150㍍ほど行った地に、昭和の初めごろまでは、「あいがいし」という竹藪がありました。その藪の中ほどに橋があって、そこに狐が住んでいたということです。 むかし、ある夜、ひ... 続きをみる
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「子供のための大和の伝説」から 「不審ヶ辻子(ふしんつじがづし)」 奈良市の御所馬場と鶴福院町との間を通る東西のせまい横町を不審ヶ辻子といい、俗にフリンガヅシと呼んでいます。この面白い町名ができたいわれにこんな話があります。 むかし、御所馬場に松浦という長者が住んでいました。ある夜、ひとりの賊がこの... 続きをみる
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お天気模様 気候概要と雨乞 人の住む所には、お天気とも深いかかわりが生まれます。 飛鳥川沿にある稲渕の集落から柏森に向かう中程左側に「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」があります。皇極元年(642)大早に際し天皇はこの丘付近に行幸し雨乞をされたことが日本書記に記されていて、いつの頃からか恵みの雨を祈り収... 続きをみる
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「子供のための大和の伝説」 「家康と桶屋」 徳川家康が大阪の陣の時、真田幸村に破られ、ほうほうの態(てい)で奈良まで逃げてきました。漢国神社の前までくると、そこに一軒の桶屋があって、トントンと桶をたたいています。 それを見た家康の家来は、 「この桶の中に、この人を入れてくれ」 と頼んだので、桶屋は承... 続きをみる
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大和のお天気模様 日本屈指大台ヶ原は雨どころ 外部資料 奈良県は周囲を山岳と丘陵に囲まれた東西64㎞南北102㎞の内陸県で、県の中央部やや北よりを西に流れる紀ノ川(吉野川)を境に北部と南部の気候区に大別されます。 二分された北部の東側は山々と丘陵大地が連なり大和平野を隔てて金剛生駒山地が西側を区切っ... 続きをみる
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「子供のための大和伝説」 「転害門(てんがいもん)」 東大寺の西北の大門を転害門といいます。テンガイ門を音便(おんびん)でテガイ門といいならわしています。それで手貝門(てがいもん)とも書きました。今、この辺の町を手貝町というのはこの門からきているのです。 奈良市立鼓阪(つざか)小学校はこの門の所から... 続きをみる
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大和の自然 ユリ ⑩ ウバユリ 外部資料 別名をカバユリ ネズミユリともいう。ウバユリの名は往々にして花が咲いているときに葉が枯れていることがある。つまり「葉(歯)なし」と見て、ウバにたとえてこの名が付いたといわれている。 本州 四国 九州に分布し、大和の山麓湿地ではごく普通に見られる。
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「子供のための大和伝説」から 「走り行法(ぎょうほう)と青衣(しょうえ)の女人(にょにん) 奈良の東大寺では、毎年3月1日から14日まで、二月堂で修二会という行事があります。俗にお水とり、またはおたいまつといっています。 この行事のうち、十二、三、四の後夜におこなわれる行法の中に「走り行法」というの... 続きをみる
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「子供のための大和の伝説」から 「若狭井戸」 東大寺二月堂の修二会を、俗に「お水とり」というのは、その行法中の三月十二日の夜半に、二月堂の下にある若狭井戸から、お香水のお水をくみとる行法があるから、その名がこの行法全体の名になっているのです。この若狭井戸に次のような伝説があります。 むかし実忠(じっ... 続きをみる
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大和の自然 ユリ ⑧ ササユリ 外部資料 大和ではヤマユリ とも呼ぶ。古事記から由来した古名ではなかろうか 日本特産で中部 近畿 四国 に分布し、大和はササユリの自然分布の中心地であり、また多産地の中心地であって、三輪山のササユリが古事記 鎮花祭あるいは三枝祭との関係がある。
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大和の自然 ユリ⑦ クルマユリ 外部資料 別名をカサユリ コメユリで日本での分布は中部以北の山地と北海道で1,200メートルから2,500メートルまでに見られる。東北 北海道では平地部付近に自生している。分布の南限は大台ヶ原(1,685メートル)と仏経ヶ岳(1,915メートル)であって、大和における... 続きをみる
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大和の自然 ユリ ④ 外部資料 ユリと人生との関係は前述の古事記や日本書記にすでにうかがわれる。万葉集にユリをよんだ誌歌は少なくない。美術 工芸品において古くは正倉院御物に「ササユリ」を型どった刺繍が見られる。近世では俳句に和歌に、また里謡などに多く歌われている。 フランスではユリを国花としており「... 続きをみる
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「神野の民話」 「神野山讃歌」 鍋倉渓は、石の原 親を映すという水の さらさら響く神野路に 天空高く舞うひばり 母なる山よ美しき 大塚の森 霧晴れて 千古の悲話を今もなお つつじに伝う神野路の 尾根を鳴きつるほととぎす ロマンの山よ愛しき 作詞 奥中敬一氏 補作 井久保博利 氏
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「神野の民話」から 「吉備津神社とその祭神」 大字西波多南面も向けてしずまる社である。 吉備津彦の命を祭神とするが、本殿はなく、昔の自然信仰のまま奥に連なる巨石を御神体として崇拝する。 吉備津彦の命は第七考霊天皇の第二皇子であり、その名を伊佐勢理比子の命と申しあげる。 第十代崇神天皇の頃(前87年)... 続きをみる
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大和の自然 ユリ 2 外部資料 ササユリ 古事記中巻八七段に、天皇が狭井河辺の伊須気余理余理比売命の家に行幸された条に、「その河を一名佐葦河といふは その河辺に山由理草の多くある故その山由理草の名を取りて佐違河と号するなり 山由理草の本名を佐葦といふなり」とある。すなわち古事記にユリの名に佐葦(サイ... 続きをみる
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「神野の民話」から 「堂前」 文字通り神野寺のお堂の前の村である。ここでひと休みして、エリを正し神野寺にもうでたのであろう。 神野山が神そのものの山として、そしてまた、神野寺がいかに霊験あらたかであったか、多くのみ堂があったかが想像できる村名である。
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大和の自然 ユリ ① 外部資料 ユリは古くからユリと呼ばれていて全体の総称である。 ユリには 百合の漢名を当てているが、古書には由利 与利 由流などあてられている。ユリの語源には、大なる花が風にユリ動くから鱗片が多くヨリ重なり合うことから 花美しく栄ユリことから など、いろいろの語源がある。 また神... 続きをみる
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「神山の民話」から 助命(ぜみょう) 助命のいわれは神野山参りや神野寺に病気を祈願をして、命を助けてもらったという故事から名付けられたものである。 ありがたい神の山、仏の山として当時の姿が偲ばれ、信仰深い里人の心があらわれている。 同時に、助命は一時、山添村中」峯山の善明寺の領地であった。後、一村と... 続きをみる
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「神野の民話」から 大字 勝原 勝原の里は初め豊原七つの村の基であった。 第十五代天皇応神天皇の御代(みよ)270年頃、勝の宿祢(すくね)という人が初めて土地を開き、溝、池、道を整備して人々は農業を中心に生計を力てるようになった。 この地で思兼(おもいかね)の神がはじめて八たの御鏡を作り、青白の御幣... 続きをみる
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不老 強壮の霊薬 テンダイウヤク ④ 外部資料 後生中国から漢方、漢薬などの術が伝わるとともに、日本に在来的に自生している中国の鳥薬同一種の鳥薬を改めて中国から移入し、これを広く増植したので、あたかもそれがこの植物の渡来起源になったかのようにされたものであろう。天台鳥薬が森野薬園や、その他の薬園に裁... 続きをみる
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不老 強壮の霊薬 テンダイウヤク ③ 外部資料 大和におけるツルマンリョウの分布が、沖積世初期の暖熱期代の生存植物であることが解明されるにつれて、このテンダイウヤクも暖熱時代の残存植物であると考えられるようになっている。そうすると、テンダイウヤクは、歴史時代になってからわざわざ中国から初めて渡来して... 続きをみる
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「神野の民話」から 「金鋳生(かないりいけ)と伏拝(ふしおがむ)の由来」 その昔、天照大神が天安河原にある天の岩戸に立てこもられたとき、思兼(おもいかね)の神がこの池(神野のふもと)で池の水を使って金を鋳(いお)り真心を込めて八タの鏡を作り、天児屋根(あまのやね)の命が青日の御弊を岩にかけて祝詞をあ... 続きをみる
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「神野の民話」から 「神野寺」 神野寺は740年、聖武天皇の天平12年、僧行基に勅して開創されたと言われる。 しかしその昔、髪生山といった頃、九州は筑紫の国から訪れた僧が庵をつくって住んでいたともいわれる。 その後、六百年時代、寺は髪生山一心院といわれ、代々一代寺であったため、無住職の時も多かったよ... 続きをみる
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大和の自然 大和の火山 奈良市の東に美しい姿を見せている若草山(三笠山)万葉人の歌によまれた二上山や畝傍山 耳成山も火山であり、また室生から赤目 香落渓のあたりも火山帯で、大和の火山は昔も今も人びとと深い関係で結ばれている。 日本は火山国といわれるくらい火山活動が盛んであるが、奈良県は比較的火山活動... 続きをみる
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「神野の民話」から 「里芋の穫れぬ畑」 弘法大師がところどころ遍歴の旅を続けながら切幡の地を通りかかられた時、ある百姓が里芋掘りをしていた。 大師は食物の持ち合わせもなく空腹を感じておられた時でもあり、その里芋があまりにもみずみずしく、おいしそうだったので、農夫に声をかけられた。 「お見事なお芋がで... 続きをみる
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「神野の民話」から 「神霊こもる神野の山」 おだやかな緑に包まれる神野の山は昔から全山が神霊のある不思議な山だといわれている。 とくに数百メートル流れるように連なるなべくら石には病いを治す不思議な力があるといわれる。 昔、ふもとに住む老女が重い病気にとりつかれた。どこの医者にかかってもなおらない不治... 続きをみる
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「神野の民話」から 「ホーラク地蔵」 北野の街道筋字下堂の大岩に高さ75センチの地蔵像がほりとけられている。「建武5年戌寅七月十 日 大夫」とかかれている。六百余年前、鎌倉時代の石仏を見る貴重な資料とされている。 昔からこの村の人たちはホーラク地蔵と呼んで交通安全のお守り様としてあがめてきた。 ホー... 続きをみる